インザナ地獄

インザナ勢です

投資という名の宝くじ

株式の売買や為替取引で収入を得るという行為は宝くじを買う行為と似ている気がした。
株や為替取引を行う事で流動性を高める役割を果たしてはいるのだが、
流動性を高めるという行為が評価されて収入が入るわけではなく、
株や為替の変動の結果で利益を得たり、損失を被ったりするわけだ。

宝くじの購入はどうか。
こちらもある意味での投資というか、寄付のような形の役割を果たしている。
しかし、その寄付という行為が評価されてお金が手に入るわけではなく、
抽選の結果でお金が手に入ったり、入らなかったりするわけだ。

両者に共通しているのは、経済に対して一定の役割を果たしているという貢献はあるものの、
その貢献と収入(あるいは損失)の間には直接的な関係はないという点だ。
貢献したからといってお金が入るわけではないのだ。
使った額の大きさが収入あるいは損失の大きさと関わっているぐらいだ。

両者に共通していないのは、宝くじが基本的に購入者と販売者の間でのお金の動きになるのに対して、
株や為替の取引は、購入者と販売者の間を越えたお金の動きになるということだ。
もちろん宝くじでも当選者が得たお金の行き先という形で外にお金は動いていくわけだが、
宝くじでもうけた人が出た結果、宝くじを買わなかった人がお金を損失するような形にはまあならない。
しかし株や為替の取引の結果は広く、それこそ世界に広がっていく。

そうした点も気になるところだし、宝くじのようなものに流れるお金が、
世界経済のお金の流れの大きな一つである事も気になるところだ。

また大学に行きたい、自分一人で考えていても底が浅いし、深く考えるだけの意志力が俺にはない。
いや、意志力がないと自分で決めてしまうところに問題があるのも確かなんだが。
見込みが無くても学者を志すぐらいの気概をみせるべきで、少しでも早くに自分の力でお金を稼ぐなどという、
ただの見栄でしかない選択をするべきではなかったのではないか。
これまで色々なものから逃げてきたが、この逃げはあまりにも高くついたのではないか……。

こんな事しか考えられないから10年以上前から停滞しているのだ、俺は。