インザナ地獄

インザナ勢です

構造主義とかウィトゲンシュタインとか

タイトルにあるような事について色々学んだつもりになっても、
自分の中にぼんやりとある「落し所」にいつの間にか収まってしまう。
そんな気がしてならない今日この頃。

じゃあその落し所はどんな考えなのかというと
「確かな考えなどどこにもありはしない、あったとしても俺には出来ない」
といったところだろうか。

寝ながら学べる構造主義、には以下のような文章がある。

無知というのはたんなる知識の欠如ではありません。
「知らずにいたい」というひたむきな努力の成果です。
俺は勉強するために本を読んでいるのではなくて、
勉強しないための理由を導き出すために本を読むという、
「ひたむきな努力」をしているのではないか。
本を読み、「確かな考えなど無い」という結論を出すことで
「だから勉強してもしょうがない」
という逃げ道を作りたいだけなのだろうか。

この逃避的な落し所を別の内容に変えることは出来ないだろうか。
現状読んだ本によって過程は変化するものの、
最終的に自分に残るのはいつもの落し所になっている。
何か打つ手はないものか。

などと書きながら心底ではこのままでいいと思っているのだろう。
感情的な部分にメスを入れなければならない気はするが、
病院もカウンセリングも効果がいまひとつ感じられないのが……。
いや、効果が無いということに俺がしたいだけなのだろうか。
そんな努力にばかり力を入れられても困るのだけれど。